2007年 11月 23日
十三鐘と石子詰のはなし

中谷堂からすべり坂を猿沢池を右手に上っていくと、国宝の五重塔が見えてくる。
それにしても坂の多い街だ!奈良の街は!
そして、まもなく、亀の形をしたお墓があるお寺が右に見えてくる。
興福寺 菩提院大御堂(通称、十三鐘)である

このお寺には十三鐘と石子詰の話がある。
三条通りの東の方にあるこの菩提院大御堂の境内に、その石子詰の跡はある。
奈良公園の鹿が大切にされてきたことを知る話に、三作少年の話である。江戸時代に三作という少年が誤って鹿を殺していまい、石子詰の刑にされてしまった話だった。

昔、三作という子供がこのお堂の横の寺子屋で習字をしていると、春日の鹿がやって来て、
廊下にあった草子を食べた。
そこで三作はこらっとばかりに文鎮を投げると、当たり所が悪くて鹿は死んでしまった。
奈良公園にいる春日の鹿は春日大社のお使い者といわれて神聖視されているが、その昔は『鹿を殺せば石子詰」 の刑といって、鹿を殺した者は、殺した鹿と一緒に生さ埋めにされ、その上から石をたくさんのせられるという、考えただけで恐ろしい刑罰があった。それだけ奈良では鹿が大切にされてきたらしい。
それで三作は大御堂の東側の庭に鹿と一緒に石子詰に処せられたのである。この時刻が夕方の七つと六つの間だったので、菩提院大御堂は以後十三鐘と俗称されるようになった三作の母が、永年供養の花として植えたモミジの木がこのそばにある。
『鹿にもみじ』 の取り合わせはこれに由来している。花札の鹿のもみじも同じ考えなのか?同様に境内地の石亀の墓は、三作の生前は余りにも短命で可愛そうであったため、次に生まれる時には、亀のように長生きできるように、との願いにより亀のお墓にされたそうだ。
奈良には物語がたくさんある。
by mitikusak
| 2007-11-23 23:18
| たび日記



