第16番札所観音寺で気がついた事
寺伝によれば、聖武天皇が国分寺建立の勅命を出した際に行基に命じて勅願道場として本寺を建立し、弘仁7年(816年)に空海が巡錫した際に、本尊として千手観音像、脇侍に不動明王と毘沙門天を刻んで安置し、現在の寺名に改めたとされる。
遍路道に面した和様重層のこの(山門である鐘楼門)その山門は、むかしの面影を残し堂々とした風格がある
(本堂)
創建後、天正年間(1573~1592年)に長宗我部元親の兵火に焼かれるが、万治2年(1659年)阿波藩主蜂須賀光隆の支援を受け宥応法師が再建したようだ。
(夜泣き地蔵)
夜泣き地蔵子供の夜泣きを止めてくれる地蔵尊で、子供の病気平癒、健康と成長を祈願する。ご利益をあずかったお礼にと、何枚ものよだれかけが奉納される。
私は孫のためにと、この「夜泣き地蔵」に健康と成長を祈願した。
(弘法大師とモチノ木を入れた本堂)
その間には「仏足石」が置いてある。
お釈迦さまの足の裏の模様が刻まれた仏足跡の石が置かれている。お釈迦さまには、「身体が黄金である」だとか「目が青い」とか「人間とは思えない超人的な特徴32相」というのがあるらしい。その特徴のひとつに「足の裏に模様がある」というのがあるようだ。お釈迦さまが立った石にその跡が残っているというのを表しているのが一般的に「仏足石」と言うようだが、あっちこっちのお寺で仏足石を見かける事がある。
私は罰が当たるのも、これもそうかも知れないとつくづく思う出来事が先日あった!!(^^)!
ウソはいけない!
自分に正直に生きよう!…ネ(^_-)