坂本龍馬と中岡新太郎遭難之地(近江屋跡)
三条駅から四条河原町を二人高瀬橋近辺を探し回り、坂本龍馬と中岡新太郎遭難之地(近江屋跡)、先斗町通り(昔のままの料亭が残っている)を廻り、先日、街の方に尋ねながら、この近江屋跡を探し中てた。なんだかちょっぴり期待していたより感動が無かった。そこは建物も無く、「坂本龍馬と中岡新太郎遭難之地」と記された碑があるだけだった。
昔ながらの船宿の風情を残す旅館であり、文久2年(1862)の寺田屋騒動で有名な坂本龍馬の定宿として知られている表に提燈を掲げる寺田屋。ここは今でも現存するらしい。幕末の動乱の時代を生きた坂本龍馬。2010年は大河ドラマにもなり、今若い人にも早くも話題を集めている。
そんな坂本龍馬の京都ゆかりの地を私も近いうちに尋ねて、歩いて見たいと思っている。
今度は龍馬が住んでいた家と寺田屋と酢屋(龍馬が隠れて居た材木屋)をと思っている。
「寺田屋」の場所と「酢屋」(龍馬が海援隊をかくまったといわれる材木商)は調べた。
龍馬が1867年の11月15日幕府軍の襲撃により、頭部に致命傷を負って即死したと言うのに土佐藩からの救援も何も無かった・・・
コレは脱藩しているということなので、仕方ないかも知れない
が、今では英雄扱いされているのも不思議だ
そして、どうも文久2年の4月23日の寺田屋騒動の後の、1868年に起こった長州・薩摩の官軍と、新選組を含む旧幕府軍が戦った鳥羽伏見の戦いで寺田屋は消失して、西隣に再建されているらしい。
過去にはこだわらないと思って生活してきた私だが、最近後ろを見るようになった。
誰の性だろう?ふと思う・・・
所在地 寺田屋 京都市伏見区南浜町263
酢 屋 京都市中京区河原町三条下ル一筋目(龍馬通)
三条通りを挟むと「池田屋跡」がある