常寂光寺から落柿舎そして
「常寂光寺」は16世紀に日禎が草庵を結んで隠棲したのが始まりだといわれ、嵯峨野小倉山の麓にあり、
寺の名前は仏教の理想の郷である常寂光土の趣をこの地に求めたことに由来しているらしい。
山門から仁王門を経て、本堂へと続く長い石段は、秋にはもみじのトンネルが京都屈指の美しさで知らされている。
また、松尾芭蕉の高弟、向井去来(キョライ)が晩年をすごしたという草庵の「落柿舎」ここに滞在した芭蕉が「嵯峨日記」を記したことでも知られている。
庭には数本の柿の木とともに、去来や芭蕉、虚子の句碑が立つ。
一本の柿の木には「柿ぬしや 木ずゑは近き あらしやま」という、去来の詠んだ句を記した句碑が建っていた。
そして、庭には一筆箋と俳句の投稿箱があり、旅の方が投句されていた。
「二尊院」は、嵯峨天皇の命を受けて比叡山の慈覚大師が創建したと言われる古刹。その後荒廃したようで、法然上人らにより再興された。釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を本尊とすることに由来し、正しくは二尊教院華台寺と呼ばれている。本尊2体と法然上人像など8体が国の重要文化財となっている。